ども、ひーさんです。
2020年4月17日に、長谷堂城跡公園でひとり花見をしてきました。2021年は早いもので3月だというのに、山形県の一部でも桜が咲き始めたようです。
長谷堂城跡公園にある「城山」は、標高227m位の小山(丘陵)で、ゆっくり歩いて登っても20分くらいで頂上に着くので、気軽に散歩できる小山です。
主に春から初夏にかけて小山を登りながら数種類の花見が楽しめるスポットとなっています。
ちなみに
2020年春はすでにコロナ禍まっただ中で、2020年4月16日には、緊急事態宣言の対象区域が山形県にも広がることが決まりました。
山形の企業等に対する営業自粛期間は、4/25㈯ 〜 5/14㈭でした。
JR奥羽本線蔵王駅から北西へ車で8分位の場所に公園駐車場があります。348号線沿いに大きな看板がでています。
公園駐車場が一番大きな駐車場となりますが、小山の周りにこじんまりとした駐車場が2箇所あります。

▲ 348号線沿いの一番大きな駐車場。
30台ほど駐車可能です。
近くに、「八幡口」の登り口あります。

▲ 「西向口登り口」
2番目に大きな駐車場で、10台ほど駐車可能です。

▲ 御前清水口
3台駐車可能です。
「長谷堂城跡公園」は、1600年の関ヶ原合戦の際には「出羽関ヶ原合戦の激戦地」となった場所。
もともと、最上氏を支えるお城のひとつでしたが、伊達稙宗(独眼竜政宗公の曽祖父)時代に落とされた経緯があります。長谷堂城が注目を集めたのは関ヶ原合戦の際に当時、最大規模の勢力の一つであった上杉家の猛攻を退けたから。
当時、最上氏の居城があった村山地方を中心に様々な合戦場が展開されましたが、
上杉軍 28,000人 VS 最上軍+伊達家援軍 10,000人
と、戦力差は3倍近い(出典:Wikipedia)
当時は山の木々が伐採されて戦う山城としての役割を果たしましたが、現在は、山形市郊外にある長谷堂城跡公園となっており、緑と花が生い茂る花咲か山になっています。

城山の周りを囲むように住宅街が並んでおり、秘密基地感を ビシバシと感じる場所だった!

う〜ん この ガキンチョ
コメント…
正規の登り口は全部で6ヶ所あります。
- 八幡口
- 大手門口(内町口=慈眼庵口)
- 観音坂口
- 湯田口
- 西向口
- 御前清水口
今回は、公園駐車場に車を停めて、「八幡口」から花見スタート😀

城山(長谷堂城)は、山の形が亀に似ていることから「亀ヶ城」とも呼ばれていました。航空写真などで上から見ると、ニョキっと首を伸ばした亀のような形をしているのがわかります。
「八幡口」はちょうど亀の頭の辺りになります。

八幡口の入り口には青竹と桜が道の左右で分かれていて、コントラストを楽しめます。


「八幡口」から登ること3分、工事中の八幡様が見えてきました。
さらに八幡神社から数分登ると、うっそうと茂る木々が開けて公園北側の桜が見えてきます。

②大手門口と⑥御前清水口へ下る分岐地点でもあります。

上空から見てちょうど亀の首筋になります。道の左右斜面に桜が咲いていました。
長谷堂城(城山)は関ヶ原合戦以前に、伊達氏に落とされた最上氏を支える山城でしたが、落城後は、防御に特化した砦として様々なギミックや防御システムが取り入れられた場所となりました。
400年以上が経過してなお、当時の防御の仕組みなどをうかがい知ることができます。
道順の他に、どんな仕掛けがあったのか「長谷堂城跡の遺構」がところどころに設置されており、わかりやすく解説されています。

城山頂上は花より碑石や看板の方が多いです(´;ω;`)

城山頂上からの眺めです。
山形市街地方面(北東)を撮ったのですが、標高が低いこともあって、一般的な山からの眺めと比べると、そこまでの感動は無いと思います(*´▽`*)

写真の撮り方が、ヘタクソなだけ…
城山頂上からのもうひとつの眺め
城山(長谷堂城跡)頂上からの街並の眺めは正直微妙ですが、1600年の「出羽関ヶ原合戦の激戦地」を想像して、周りを眺めるとまた異なって見えてきます。

1,000m位北側には、菅沢山がありますがが、菅沢山には当時「愛の兜」で有名な直江兼続が上杉軍総大将として陣を構えていたそうです。
長谷堂城攻撃に参加した上杉軍の兵数は未確認ですが、総大将が直接攻略に取かったことからも、「長谷堂城」の重要性が伺えます。
ちなみに、最上軍の守備兵力は1,000人位だったそうです。

▲ 現在は、老人福祉施設のある菅沢山から「長谷堂城跡公園」付近を撮影しました。
長谷堂城跡公園の春日神社
山頂から観音坂口へ下っていくと、すぐに「春日神社」が見えてきます。
「シダレザクラ」の巨大な古木はちょうど花を咲かせて見頃なでした。

もう少し下った場所から眺めた方が良く見えました。
長谷堂城跡公園の長谷堂観音

春日神社の鳥居と向かういあうような形で「長谷堂観音」があります。

長谷堂観音は「最上三十三観音」の十二番霊場にも指定されていて、観音様が奉られています。


長谷堂城跡公園駐車場の真逆の方向に位置する「長光院」で管理されています。
※コロナの影響で2020年の御開帳は2021年へ延期されました。
長谷堂城跡公園の観音坂口


長谷堂城跡公園はちょっとした丘陵(小山)で、漏れなく民家に囲まれている為、迷子や遭難するような山ではないと思います。また、観音坂口と八幡口は途中まで参道が整備されていて足元も安心です。
途中からは山道になりますので、油断せずスニーカーなど動きやすい恰好で登ることをおすすめします。
春はいつも出会いませんが、虫もたくさんいるとおもわれます。
頂上から観音坂口まで下ってきて、駐車までは半時計回りに民家を抜けて、テクテク歩いて行きました🚶🚶♂️

住宅街ですが、ところどころに碑石が点在してあって、そういうの、ちょっと京都っぽい感じ?ww

怒られるよ…

駐車場へ戻る途中で大手門口を見つけて、再度登頂開始!


大手門口から3分位登ると慈眼庵阿弥陀堂(じげんあん あみだどう)が見えてきます。


阿弥陀堂のそばに石像があるのですが、5月頃にはアズマシャクナゲの花を咲かせるスポットです。
阿弥陀堂を越えて真っすぐ進むと八幡口の方へ辿り着きます。


正規の登り口では、湯田口だけ駐車所もなく、入り口も小さい為、初めて訪れる人には、一番わかりにくい登り口だと思います。
二番目に大きい「西向口登り口」の駐車場へ停めて、城山の周りを半時計回りに3分ほど進むと湯田口が見えてきます。

長谷堂観音を管理している「長光院」の橋の対岸には「ころり観音」があります。
「ころり観音」のご本尊は、牧野番内さんちの念持仏(ねんじぶつ:は、個人が身辺に置き私的に礼拝するための仏像)で、もともとは准胝観音(じゅんていかんのん)として尊崇されていたそうです。
准胝観音のご利益のひとつ、「延命」にとくに霊験あらたかなところから、「ころり観音」と呼ばれるようになったそうです。
牧野番内は、関ヶ原合戦の後で長谷堂城の城主になった坂光秀の家臣

看板が掲げられているのは民家ですが、民家のお庭を通った先に「ころり観音」があります。
周りに駐車場はなく、一言お断りすれば、民家の前に駐車してOKとのことでした。(橋の対岸にある「長光院」の駐車場に駐車するのは絶対NGとのことでした。)

一段、高いところに奉られています。


通常は扉が閉まっているのですが、お家の方へ挨拶した際に、扉を開けてお参りして良いということで御開帳させていただきました。
長谷堂城跡公園の西側には、坂光秀の菩提寺である「清源寺」があります。
坂光秀は関ヶ原合戦の後で長谷堂城の城主になった最上家の外交官
関ヶ原合戦時に長谷堂城の防衛指揮を執った志村光安(しむら あきやす)さん
元々は山形市にある清源寺が菩提寺でしたが、長谷堂城防衛の功績を賞されて「酒田城(亀ヶ崎城)」に(領地拡大に伴う)異動となりました。
その際、清源寺の和尚さんも供って、酒田に「青源寺」を開きました。

清源寺の入り口
春ですが、まだ冬服のお地蔵さま

清源寺の黒門(惣門)

清源寺の山門(仁王門)
門を守る金剛力士像

仁王門から見た長谷堂城跡公園の「城山」

清源寺の本堂

清源寺の庫裏

山形県内で三番目に古い梵鐘。
理由は不明ですが、長谷堂城防衛戦の前後に、最上軍の有名武将、延沢満延(のべさわ みつのぶ)さんが、兜代わりに円同寺から運んできたと伝わる梵鐘(ぼんしょう:寺院のつりがね)

ぱっと見、龍っぽいですが、よく見ると鬼を象った装飾です。
長谷堂城跡公園の城山はゆっくり歩いても登り20分、下り10分といった気軽に登れる、なだらかな小山です。かつては、「出羽関ヶ原合戦地」や、「東北の関ヶ原の激戦地」と言われるほどの場所でしたが、現在は、地元の人たちの力で隠れた花咲か山スポットして訪れた人の眼を楽しませてくれます。
まだ数回しか登ったこはありませんし、たまたまかもしれませんが私が訪れた際は、土日平日関係なく登っている人は少ないです。
コロナ禍の際は1時間位うろうろしていたのですが、出会ったのは一組の熟年カップルだけでした。
気分転換や、一人でぼーっとしたいとき、花を眺めに行ってみよー😆
団子があれば、なおうれしい🍡
以上、『[山形市] 長谷堂城跡公園|400年の時を経て「花見の名所」へ🌸🍂』でした。