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瑞宝山 本山慈恩寺|現代のライバルはサクランボ 寒河江の代名詞たる東北随一のお寺 [寒河江市慈恩寺]

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ども!ひーさんです。

瑞宝山ずいほうざん 本山慈恩寺ほんざんじおんじへ行ってきました。

かつて徳川幕府より朱印状を与えられて東北地方随一の広域を有した。

朱印地・黒印地

江戸時代に入り、各寺社に、かつて領有していた土地の一部が返還され、幕府・大名より朱印状・黒印状によってその所領が安堵された。

引用元:Wikipedia
ズルりん
ズルりん

ライバルがサクランボってどういうこと?

ズルいの
ズルいの

寒河江市のイメージです。

ひーさん
ひーさん

寒河江市=サクランボ or 慈恩寺

本山慈恩寺 随神門

本山慈恩寺の概要

※表は横スクロールで閲覧可能です

宗派慈恩宗(天台宗真言宗兼学の一山寺院)
ご本尊弥勒菩薩みろくぼさつ
創建746年(天平18年)
山号瑞宝山
通称未確認
開山
(寺院の創始)
婆羅門僧正ばらもんそうじょう 菩提僊那ぼだいせんな
開基
(創始時支援者)
聖武天皇
霊場東北三十六不動尊霊場 第1番札所
出羽名刹三寺まいり

出羽名刹三寺まいり」は山形が誇る開山1100年以上の3つの古刹、「立石寺(山寺)」、「若松寺」、「本山慈恩寺」を巡り縁結びの運気を上げるという企画。

山寺で悪縁を切って、慈恩寺で若返って、若松寺で良縁を結ぶ!

本山慈恩寺のご由緒

724年(神亀元年)、行基ぎょうきがこの地を訪れて景勝地であるのを見て京に帰り、聖武天皇に奏上。
天平18年(746年)聖武天皇の勅命でインドの婆羅門僧正ばらもんそうじょうが開山。

兵乱や大火で何度が寺院が焼失している。現存する建物は三重塔を含め1600年代初め最上義光もがみよしあき公の命によって建てられた。

江戸時代には、別当「最上院」(天台宗)、学頭「宝蔵院」・「華蔵院」(真言宗)の3ヵ院48坊18村からなる一山寺院いっさんじいんを形成していた。

1665年(寛文5年)、徳川幕府より御朱印高2812石を与えられた。これは東北地方で最大規模の石高だったが、明治時代に入ると朱印地は廃止され3ヵ院17坊まで減少する流れをたどる。

1952年(昭和27年)、「天台真言両宗慈恩寺派」となる。

1972年(昭和47年)、「慈恩宗大本山慈恩寺」として独立し現在に至る。

宗派は法相宗に始まり、天台宗、真言宗の他、修験の外時宗、禅宗等様々な宗派が入り混じっていた。

ちなみに御朱印高2812石ってどれくらい?

江戸時代の最上氏と上杉氏の山形の石高を合わせると当時の山形県は84万石位(隠し田等はもちろん除外)なので、県全体の大体300分の1の収入があった考えると、かなり大きな社会的権力があったことが伺えます。

本山慈恩寺の様子

本山慈恩寺 マップ
クリックで拡大

慈恩寺旧境内のパンフレット

旧境内内には立ち入り禁止の17坊と無料で拝観可能な3つの院があります。

本山慈恩寺 眺め

第一駐車場と華蔵院前からの景色

本山慈恩寺 随神門

華蔵院をさらに下って行くと大きな随神門が見えてきます。

門の格子の中には年代を感じる金剛力士像が安置されていました。

本山慈恩寺 手水舎

7月末に訪れたので蓮の花が手水に浮かべてありました。

本山慈恩寺のご本堂

本山慈恩寺 本堂1

本山慈恩寺は山寺と並ぶ観光客に人気のお寺

本山慈恩寺 本堂2
本山慈恩寺 扁額

本山慈恩寺の扁額

本堂は境内の中で最も古い建物。

1618年(元和4年)山形城主最上氏による再建から400年を経て、桃山時代の様式や重厚な茅葺かやぶき屋根を今に伝えています。再建当時裏山に群生していたヒメコマツを使った66本の柱は、日本60余州を表し国家安寧を祈願したものといわれている。

ズルいの
ズルいの

これだけの規模の茅葺を毎年吹き替えているとか。

内部の外陣天井には竜や天女が描かれ、ご本尊の弥勒尊みろくそんをはじめ秘仏33体が内陣の宮殿に安置されている。

ズルりん
ズルりん

堂内は撮影厳禁でした。

本山慈恩寺の薬師堂

本山慈恩寺旧境内 薬師堂1

本山慈恩寺の薬師堂

1693年(元禄6年)建立

堂内には薬師三尊と有名な十二神将が祀られています。

どれも、もともとは京都や奈良で制作制作されたもので、平等院鳳凰堂の建築に関わった一派の造りであるとボランティアのガイドさんが話してくれました。

以前は、現在の本堂より500mほど東に在った東院(薬師寺及び聞持院)で祀られていたそうです。

本山慈恩寺旧境内 薬師堂2

本山慈恩寺の阿弥陀堂

本山慈恩寺旧境内 阿弥陀堂1

本山慈恩寺の阿弥陀堂

1693年(元禄6年)建立

常行堂として建立され、常行三昧じょうぎょうざんまい(阿弥陀如来の周囲を念仏を唱えつつ歩く行)の行がおこなわれた御堂です。

1108年(天仁元年)築造時は阿弥陀三尊像が安置されていたと伝えられている。

秋に御開帳をすることが多いようです。

本山慈恩寺旧境内 阿弥陀堂2

本山慈恩寺の三重塔

本山慈恩寺旧境内 三重塔

本山慈恩寺三重塔

主尊の金剛界大日如来坐像が祀られている。

1606年(慶長11年)、最上義光公が大施主によって建立された。

1823年(文政6年)、隣家の大火で類焼。

1830年(天保元年)、地元の大工の棟梁布川文五郎氏によって再建された。

ひーさん
ひーさん

村山盆地で唯一の三重塔が再び存在するに至った

本山慈恩寺の不動堂

本山慈恩寺旧境内 不動尊

東北三十六不動尊霊場の第1番札所

華蔵院

本山慈恩寺旧境内

第一駐車場 > 華蔵院 > 本山慈恩寺へと通じる道

華蔵院は入り口が二つ

どちらも三重塔を建てた棟梁によって造設された。

本山慈恩寺旧境内 華蔵院 敷地1
本山慈恩寺旧境内 華蔵院 伽藍

華蔵院けぞういんの伽藍

真言宗の寺院。

本尊は不動明王。

宝蔵院と共に、慈恩寺の学問を司る「学頭」を務めた。

創建時は不明。

ヒガンバナの咲く寺として有名。

華蔵院の延命子安地蔵堂

本山慈恩寺旧境内 華蔵院 子安堂1

この地蔵菩薩にお祈りすると、たくさんのご利益が授かるといわれております。まず女人安産を始め寿命長延、身体堅固、万病悉除、聡明智恵、五穀豊穣など、古くから多くの人々に信仰されてきました。とくに子どもが授かり、安全に子育てができるありがたい地蔵菩薩として、参拝者は遠く県外からも訪れます。

〜 中略 〜

いまの本堂は1847(弘化4)年、華蔵院光春の時代に、慈恩寺三重塔を建てた棟梁布川文五郎の手になるもので、木鼻(きばな)の彫刻や柱の麻の葉のデザインなどその美しさが知られています。中に入ると、雋斎(しゅんさい)など有名な画家の天井絵、國井忠吉の地獄図など多くの絵馬が内部を飾り、人々の祈りの跡を見ることができます。(2013・11月華蔵院護持会)

引用元:2013・11月華蔵院護持会 案内板より
本山慈恩寺旧境内 華蔵院 子安堂2

三重塔を建てた大工の棟梁の作品らしい。

柱一本を見てもたしかに麻の葉の緻密な文様が彫られていました。

本山慈恩寺の御朱印

本山慈恩寺 御朱印

御朱印料金300円

本山慈恩寺 の本堂に祀られている弥勒菩薩の御朱印

他にも慈恩寺旧境内に祀られている、薬師如来、阿弥陀如来、金剛界大日如来、不動尊と全部で5つの御朱印を書いていただくことが可能です。

わたしが訪れた際には限定御朱印は見かけませんでした。

本山慈恩寺へのアクセス

徒歩🚶

JR左沢線「羽前高松駅」から慈恩寺テラスまで北へ徒歩で15分、慈恩寺テラスから本山慈恩寺まで徒歩で11分。

車🚙

JR左沢線「羽前高松駅」から北へ車で5分

「チェリーランド 道の駅 寒河江」から国道112号線(月山道)を西に進んで、国道287の高架道路下の交差点を北に進むと、慈恩寺ののぼり旗がところどころに立っています。

※表は横スクロールで閲覧可能です

住所山形県寒河江市大字慈恩寺地籍31番地
電話番号0237-87-3993
拝観時間8:30 〜 16:00
アクセスJR左沢線「羽前高松駅」から徒歩で北へ15分(1,300m)
Wi-Fi無し
駐車場第1駐車場
第2駐車場
公式HP本山 慈恩寺(公式サイト

拝観料 700円

以前訪れた時は 500円だった記憶。

本堂と薬師堂を拝観できます。

定期的に特別展や御開帳が開催されており、その期間はその分拝観料が上乗せされていたと思います。

第一駐車場のトイレ

新しくてすごくキレイでした。

散策後は第一駐車場近くにあるコスパの高い「東光坊そば」でいっぱいオススメです。

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