栗川稲荷神社は、かみのやま温泉街近くの松山台に鎮座する神社です。
松山台の境内へと続く、長く細い傾斜した参拝路とたくさんの赤い鳥居がトンネルの様相で特徴的です。
温泉街を散策するのにちょうど良いです。
JRかみのやま温泉駅から北西へ道なりに徒歩で10分の場所にあります。
住所:山形県上山市松山1丁目1−52
電話:023-672-3520
距離:JRかみのやま温泉駅から徒歩で10分
駐車場:有り
公式HP:無し
参道は笹の葉が生い茂って伸びていました。
境内も含めて少し景観が荒れていると感じました。
おそらく地元の方々の人足作業(地域のボランティア作業)で景観が維持されていると思うのですが、もう少し暖かくなったら、スッキリするのではないでしょうか。
平日の昼過ぎに行ってきたのですが、参拝者の方々が、まばらですがだれか参拝して帰ったかと思うと、また新しい参拝者の方がお見えになる状態で人気のある神社であることが伺えます。

神社の南東側です。
栗川橋を渡って、まっすぐ進むと参拝路の入り口が見えてきます。
写真だと栗川橋の左端に入り口の鳥居が写っています。
参拝路をずんずん登っていくと駐車場のある位置まで行くことができます。
参道のいたる所に献上された石灯籠や鳥居がそびえ立っています。
むかーしに献上されたと思われる鳥居と灯籠で参拝路は若干の怪しも漂っています
…ヒィ(´皿`;)
駐車場側は桜も咲いていて怪しさはゼロ。

駐車場は神社の西側にあります。
(JRかみのやま温泉駅の西口から、道なりに真っすぐ北西に進むと見えてきます。)
駐車場の入り口のところにある由来を、以下のとおり簡略してみました。
栗川稲荷神社の由来
栗川稲荷神社は、もともと備中国庭瀬(岡山県岡山市北区庭瀬)にあって、時の庭瀬城主松平信通(まつだいら のぶみち)が城中守護の神として奉祀され信仰されていたお社です。
元禄10年9月15日(1697年)に領地替えの命令で、出羽国上山(山形県上山市松山)へ異動になった際に、ご神体も一緒に上山へ来ることになりました。
国替えの移動の道中、武蔵国北葛飾郡栗橋(現在の久喜市)で宿泊した際に、松平公の夢枕に災難のお告げが現れました。信仰心の厚い松平公は急いで出発することで、利根川の大氾濫に巻き込まれることなく期日通りに出羽国上山へ到着することができました。
当時、期日通りに着任できないことで、大変なお咎めを受ける時代でした。
松平公は稲荷神の御霊験だと感銘を受けて、上山城内に社殿を創建し、栗橋の「栗」と利根川の「川」をとって栗川稲荷大明神として崇め奉ることになりました。
ところが、明治時代になり、松平家は東京に移り住み、城内の稲荷神社を顧みる人がいなくなり大変荒廃することとなりました。これを憂いた当時の地域の有力者が松平家から許可を得て、現在の松山台へ社殿を設け御神体を移して奉祀するに至りました。
栗川稲荷神社は二股の参道

駐車場側から見た参道です。
参道入り口から登ってくると左右に千本鳥居のような連続して建っている鳥居が見えてきます。
奥が新しい拝殿へ続く参道で、手前が旧い拝殿へ続く参道です。
左右にたたずむお稲荷さんが、つるつるに磨かれた石と思われます。
スラっとした造形も相まってカッコいぃ✨

山桜とお稲荷さん

奥に御神木と旧い拝殿があります。
旧い拝殿の方は、現在扉も閉められて壁と化していますが、昔から参拝される方々は旧い拝殿にもお参りされているそうです。

御神木はそこまで幹が太くありませんが、しっかりしていて良い感じの形です。
宮司さんの奥様と思われる方に書いて頂きました。
お初穂料は300円でした。
この日は私が到着してしばらくしたら、外出されるとのことでした。
御朱印を頂きたい方は、事前に連絡してから参拝に行かれることをお勧めします。
以上、『栗川稲荷神社|かみのやま温泉街で参拝可能なお稲荷様』でした。