はじめての方に読んでほしい記事はコチラ❢

上杉神社|米沢城址で上杉謙信公を祀る神社 [米沢市]

アイキャッチ

上杉神社の拝殿

戦国武将として有名な上杉謙信公が神様として祀られている上杉神社へ行って来ました。

米沢で観光するとなれば、必ず候補に挙がる名勝地といっても過言ではないでしょう!

今回、久々に訪れたのは、「第43回上杉雪灯篭祭り」の”翌日”です。

昼過ぎに行ってきたのですが、まだ業者さんが、祭りのあと片付けを行っている最中でした。

イベント後だけあって、参拝者は少なめてした。

上杉神社 元本丸のお堀

一番大きな「お祭り広場駐車場」からでて見える米沢城址

上杉神社へのアクセス

JR奥羽本線米沢駅から西へ徒歩で25分の場所にあります。

米沢駅からバスでも行くことができ、「上杉神社前」で下車してすぐです。
バスは市バス山交バスがあります。

市バスで行く場合>

米沢駅西口から1時間に1回のペースでバスが出ています。
夏と冬ではダイヤが異なります。
[冬は循環右回り(冬ダイヤ)が最短コース]

米沢市のホームページ「市バス」から詳細が確認できます。

山交バスで行く場合>

米沢駅西口から1~2時間に1回のペースでバスが出ています。
平日か土日祝日かでダイヤが異なります。
[白布温泉行き]

山交バスの「路線バス時刻表」から詳細が確認できます。

※表は横スクロールで閲覧可能です

住所山形県米沢市丸の内1-4-13
電話番号0238-22-3189
アクセスJR奥羽本線米沢駅から西へ徒歩で25分 (2,000m)
開門時間6:00 〜 17:00
7:00 〜 17:00
御朱印
授与時間
8:30 〜 16:00
Wi-Fi未確認
駐車場300台位
公式HP無し

上杉神社の概要

※表は横スクロールで閲覧可能です

主祭神上杉謙信(うえすぎ けんしん)公
配祀神
創建1871年(明治4年)
例祭4月29日

上杉神社の御利益

「開運招福」、「諸願成就」、「学業成就」、「商売繁盛」

上杉神社のご由緒

上杉神社は、メジャーな戦国武将である上杉謙信公を神様として祀っている珍しい神社です。

上杉謙信公といえば、「越後の龍」の二つ名のとおり、現在の新潟県を中心に活躍した武将です。

謙信公がお亡くなりになったのも越後の春日山城内(現在の新潟県)でした。越後で亡くなった「越後の英雄」が、なぜ山形県の米沢市で神様として祀られているのか?

ズルいの
ズルいの

どうして?

そして、毎年、上杉神社の例大祭には、米沢市で上杉家と武田家が戦った「川中島の合戦」を模したイベントが開催されています。謙信公は新潟で亡くって米沢を支配していなかったのに、なぜなのか?

ズルいの
ズルいの

なぜなのか?

ズルりん
ズルりん

復唱しなくていいよ…

上杉家は1600年の関ヶ原の合戦の後に、転封で米沢に移り住むことになりましたが、その際(会津国替えの際に)も謙信公の遺体は上杉家の人々と一緒に遷され守護神として大事にされてきました。

1601年から明治に入るまでの260年以上、米沢城本丸の御堂に祀られていました。

明治に入り一時的に上杉家廟所に遷されました。

1876年(明治9年)5月21日、旧米沢城奥御殿跡に上杉鷹山公を合祀し、「上杉神社」として創建されました。

「越後の英雄」が米沢で神様として祀られてる理由
  • 謙信公のご遺骸も一緒に米沢に来たこと
  • その後、上杉家の守護神として城内で丁重に祀られていたこと
  • 墓所に遷された後も、魂は米沢城に留まっていると考えられていること
ズルいの
ズルいの

なるほどねー

1919年(大正8年)、米沢大火が起こった際に当時の上杉神社及び、上杉伯爵邸も類焼、ほとんどの建物が焼け落ちてしまったそうです。

1923年(大正12年)、国からの援助金や米沢市民の労働奉仕などにより、現在の神社が完成しました。

江戸時代、上杉謙信の遺骸を安置した御堂( 祠堂 )が建っていた場所である。

謙信は天正六年(1578)三月十三日、越後春日山城で逝去、享年四十九であった。その遺骸は甲冑を着せ甕(かめ)に納め、漆で密閉したと言われている。

その後、謙信の跡を継いだ上杉景勝が会津120万石、米沢30万石に移封されるに伴い、謙信の遺骸も移され、米沢城南東隅のこの地に御堂を建て安置した

謙信遺骸の左右には善光寺如来と泥足毘沙門像が置かれ、その後は歴代藩主の位牌も祀り、最も神聖な場所として厳重かつ鄭重に祀られた。

明治四年の廃藩に際し、仏式を改め神式とし、謙信は上杉神社の祭神として祭られる。謙信の遺骸は、同九年に歴代藩主が眠る御廟所(上杉家墓所)に遷された

上杉謙信祠堂( 御堂 )跡の看板より
ひーさん
ひーさん

墓所に遷された為、謙信公の遺骸は燃えていないんですね

上杉神社の境内

上杉神社の表参道1

参道にさっぱり雪がありません。

上杉神社の表参道2

上杉謙信公が戦場で掲げた「毘」と「龍」の旗がはためいていました。

上杉神社表参道の舞鶴橋からの眺め

元本丸と元二の丸とにかかる舞鶴橋から見える上杉記念館

暖冬ですが、お堀が半分凍ています⛄

上杉神社の参道3

鳥居をいくつかくぐると拝殿及び本殿が見えてきます。

上杉神社の社務所

鳥居の左手には、社務所があります。

参拝後にこ、ちらで上杉神社と松岬神社の御朱印をいただくことができます。

上杉神社の手水舎(ちょうずしゃ)

虎の口から水がでています。

上杉神社の参道4

1919年の米沢大火で焼失した上杉神社ですが、その後国からの援助金や米沢市民の労働奉仕などにより、現在の神社が完成しました。

現在の上杉神社の設計は米沢出身で、神社建築の伊東忠太博士によるものです。
伊藤忠太博士の設計したもので、明治神宮や平安神宮が挙げられます。

上杉神社の付与所

木の鳥居をくぐると、御守りなどを取り扱っている付与所があります。

上杉神社の神門前

少雪の2020年2月ですが、「第43回上杉雪灯篭祭り」の日には降った方でした。

上杉神社の神門

上杉神社で象徴的な神門。

上杉神社の拝殿

冬ごもりされた、上杉神社の拝殿

上杉神社の本殿

冬ごもりされた、上杉神社の本殿

上杉神社の御朱印

上杉神社の御朱印1

初穂料は300円

上杉神社の御朱印2

こちらは、6年前に訪れた際にいただいた御朱印です。

前回いただいた御朱印の文字の方が力強い印象を受けます。

社号と一緒に上杉謙信が掲げた「第一義」が記載されています。

謙信公の掲げた「第一義」とは?

1.最も大切な根本的な意義、または価値。「教育の第一義」「第一義的な問題」

2.仏語。最高の道理。究極の真理。勝義。

コトバンクより

コトバンクで検索すると上記のようにでてきました。
仏語を語源とするのに、神社の御朱印に使われることから、神仏習合の時代を感じます
( ◠‿◠ )

意味を調べると、力強さとイコールとはならないようです。

上杉神社の摂社・末社

松岬神社

松岬神社(まつがさきじんじゃ)は、松ヶ岬公園の敷地内にある神社で、上杉鷹山公を含め上杉家に大きな影響を与えた人物6名が神様として祀られています

社号は、米沢城の別称である「松岬城」が由来しています。

松岬神社の概要

※表は横スクロールで閲覧可能です

主祭神上杉鷹山(うえすぎ ようざん)公
上杉景勝(うえすぎ かぎかつ)公
直江兼続(なおえ かねつぐ)公
細井平洲(ほそい へいしゅう)先生
竹俣当綱(たけのまた まさつな)
莅戸善政(のぞき よしまさ)
配祀神
創建1902年(明治35年)
例祭4月30日、9月9日

米沢大火を免がれた神社

1902年(明治35年)、上杉神社が別格官幣社に列せられるに際し、米沢城二の丸世子御殿跡に設けた摂社「松岬神社」へ遷され祀られました。

1912年(大正元年)9月28日には神殿が造営され県社に列した。あわせて神餞幣公料供進神社にも指定された。

1923年(大正12年)4月に、米沢藩2代上杉景勝公が合祀された。

1938年(昭和38年:米沢市制施行50周年)、景勝公の家老である直江兼続公、鷹山公の師・細井平洲先生、鷹山公の下で活躍した竹俣当綱・莅戸善政を合祀し、現在に至る。

Wikipediaより

松岬神社のご利益

「武運長久」、「学業成就」

2度の米沢大火を免がれた神社ですので、火除けのご利益もありそう。

松岬神社の境内

松岬神社の石碑

松岬神社の石碑

松岬神社の参道

上杉神社の正面参道沿いに松岬神社がります。

松岬神社の手水舎(ちょうずしゃ)

松岬神社の拝殿前
松岬神社の拝殿

松岬神社の拝殿
上杉神社の狛犬と比べるとこぶりな狛犬ですが、6柱の神々を祀る社殿を護っています。

松岬神社の扁額

松岬神社の扁額

松岬神社の御朱印

松岬神社の御朱印

初穂料は300円

上杉鷹山公が唱える有名な「為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の 為さぬなりけり」から一文が添えられています。

松岬神社にも何度か参拝に訪れてたことがありますが、御朱印をいただいたのは初めてです。

参拝後に、上杉神社の社務所で書いていただくことができす

福徳稲荷神社

1725年(享保10年)、上杉宗徳公(米沢第6代藩主)が城内の鎮護として二の丸に勧請された。

1876年(明治9年)5月、上杉鷹山公の御信仰あつかった三の丸稲荷祠を合祀して上杉神社境内に遷し末社となりました。

福徳稲荷神社 の概要

※表は横スクロールで閲覧可能です

主祭神宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ:古事記)
倉稲魂命(うかのみたまのみこと:日本書紀)
配祀神
創建1876年(明治9年)5月
例祭7月30日

〜 中略 〜

霊験記
古誌に傳わる(つた)わる奇(く)しき霊験物語 (神秘的な霊験物語)がある

時は1740年(元文5年)のこと 宗房公( 米沢藩7代藩主 )の時 将軍家から御鷹の鶴拝領があり御請けの飛脚を立てたが 御祐筆所で本書と案書とを取違えて大失態を演じ措置に窮した時 御城代 岩井大膳元則の飯綱の修法にて神使白狐の懸命のはたらきとふり 遂に大難を免かれたのであります 其遺骸は大膳の申立てにて櫃(ひつ)に納めてこの稲荷祠に祀られました

福徳稲荷大明神縁起より

神の使いである白狐が、上杉家の危機を救った為、その遺骸を祀っているそうです。

福徳稲荷神社 のご利益

火除け

福徳稲荷神社 の境内

福徳稲荷神社の参道1

上杉神社の北側、上杉神社稽照殿(けいしょうでん)の裏側に続く稲荷神社の赤い鳥居

福徳稲荷神社の拝殿

福徳稲荷神社の外観、塗り直したばかりなのでしょうか。外装がまだ鮮やかな朱色です。

福徳稲荷神社の狛犬(狛狐)

福徳稲荷神社の参道2

拝殿のすぐそばには、小さな奥の宮が視認できます。

福徳稲荷神社の奥の宮

こちらが、福徳稲荷神社の奥の宮

辯天宮

なぜか隣には、辯天宮が祀られています。

弁天祭という行事が、毎年6月17日、10月17日に執り行われるそうです。

福徳稲荷神社の扁額

福徳稲荷神社の扁額

福徳稲荷神社の御朱印

福徳稲荷神社の御朱印については、存在を未確認です。

春日神社

2020年の7月末に行ってきました。

松ヶ崎公園内にある春日神社は、もともとは、平安時代に奈良の春日大社から分霊され上越の春日山頂に奉られた。

戦国時代になると上杉家によって代々守られ神として敬い続けられた。上杉家が会津、米沢へと国替えした際には一緒に移ってきた。

1919年(大正8年)、米沢大火の際に一緒に類焼し、一度は松岬神社に合祀されたが、1981年(昭和56年)に市民の浄財により再建され現在にいたる。

春日神社の概要

※表は横スクロールで閲覧可能です

主祭神武甕槌命(たけみかづちのみこと)
経津主命(ふつぬしのみこと)
天児屋根命(あめのこやねのみこと)
比売神(ひめがみ)
配祀神未確認
創建960年頃(平安時代)
例祭9月 第三日曜日

春日神社のご利益

「産業発展」、「武芸向上」、「国家鎮護」

「勝負運」、「交通安全」、「災難除け」

「子孫繁栄」、「出世」

春日神社の境内

春日神社 参道

上杉神社の南側に参道が続いています。

春日神社 景観

境内が少し小高い場所にあります。

摂社ですが、松ヶ岬公園内にある神社で唯一小高い所にある神社です。

新潟の春日山に関連している為なんでしょうか??

春日神社 入り口

春日神社の社殿

菱門橋

春日神社近くの菱門橋

上杉神社の雪灯篭祭り

「上杉雪灯篭まつり」は、上杉神社を象徴するお祭りです。

毎年2月の第二土曜日と日曜日に、約300基の雪灯篭と、約1000個の雪ぼんぼりが灯されます。近年は小雪の為にその数も少ない傾向で、2020年はまさかの40基と過去最小を記録しました。

2020年は小雪から、雪灯篭が少くなることは早くから想定して、代わりに幻想的なキャンドルの演出がなされ、ロマンチックな雪景色を楽しむことができたようです。

https://www.instagram.com/p/B8gLcC_Hfj8/?utm_source=ig_web_copy_link

こちらは翌日ですが、すっかり撤収されています。

上杉博物館前

👇親善交流で訪れた東海市内の小学生の一団が作成した雪灯篭です。

上杉雪灯篭祭り

まとめ:上杉神社の雪灯篭祭り翌日はやっぱり閑散としいた。けどお散歩するには最適だった!

2020年2月10日、「第43回上杉雪灯篭祭り」の”翌日”にお参りしてきました。
お祭り当日は仕事で行けませんでした。

けど、ガラガラで松ヶ岬公園内をお散歩するのには最適でした
٩( ╹▿╹ )۶

山形県を代表する別表神社の一社です。

メジャーな戦国武将である「上杉謙信公」を神様として祀っている。また、江戸時代末期に藩政改革を行い、全国的に一大ムーブメントを促した「上杉鷹山公」が祀られている摂社・松岬神社もすぐそばにあり、強力なパワースポットとして有名です。

桜や、蓮の名所でもあります。
次回は、もっと晴れやかな日に訪れてお散歩したい(^^)

以上、『上杉神社|米沢城址で上杉謙信公を祀る神社 - 米沢市 -』」でした。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です