山形市内にある諏訪神社(すわじんじゃ)へ行ってきました。
こちらの神社も歌懸稲荷神社と同じ通り(よく歩き回る山形駅前大通り)にあって、見過ごしてきた神社です。
諏訪神社では、(野菜の)茄子が「願いを成す」作物として大事にされています。
JR奥羽本線山形駅から山形駅前大通りを徒歩で東へ10分位の場所にあります。
※表は横スクロールで閲覧可能です
住所 | 山形県山形市諏訪町1-1-55 |
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電話番号 | 023-622-6358 |
主祭神 | 建御名方神(たけみなかたのみこと) 大国主神(おおくにぬしのみこと) 事代主神(ことしろぬしのかみ=恵比寿様) |
アクセス | JR奥羽本線山形駅から山形駅前大通りを徒歩で東へ10分 (1,100m) |
創建 | 1474年(文明6年)室町時代 |
例祭 | 9月27日 |
駐車場 | 20台位(車止めの先にさらに30台位) |
公式HP | 諏訪神社(公式サイト) |
駐車場には正面の鳥居の隣からも入れますが、神社の西側の通りからきちんとした道があります。
1474年(文明6年)室町時代の創建
日照り続きの不作で苦しんでいたところ、城主(斯波右京大夫義春公)の夢にお告げがありました。
「汝信仰の心あらば辰巳(東南)の方角樹木蒼にして荘厳の城に遷座せよ」
当時の人々は河原だったこの周辺に樹木を運び森をつくり、信州の諏訪大社から御分霊をいただき諏訪神社として祀られました。

願いが成就して雨が降り、最初の収穫物は茄子だったそうです。
茄子は、「願いを成す」作物として神の御加護と仰ぎ今日まで言い伝えられています。
今でも例大祭の折には茄子を供え祈願しているそうです。例大祭の参拝者は茄子を五個程持参し供え、二個程持ち帰り神の御加護をいただく習慣が残っているそうです。

2002年(平成14年)道路拡張に伴い境内整備、現在の社殿はこのときに建てられました。鳥居、神門は白い石造り。社務所の扉は自動ドア。手水(ちょうず)は人感センサーで杓子無しと近代的な造りです。
わたしが学生時代に神社の前を歩いていたのは、道路拡張工事以前ですのでちょっと不思議な感じです。

近くを通ると「カチッ」と鳴って、水が「じゃ〜」と流れ続けました。


諏訪神社の拝殿
諏訪神社の狛犬
四肢に力を込めて飛び出さんばかりの姿勢に見えまます。

内閣総理大臣 佐藤栄作 謹著とあります。
内閣総理大臣 安倍晋三 首相のおじいちゃん。

諏訪神社の本殿
諏訪神社の社務所

諏訪神社の社務所
自動ドアで開く新しい建物です。
全国的にも珍しい七福神の福禄寿稲荷神社

この鳥居の先は、福禄寿稲荷神社と普賢神社です。
福禄寿稲荷神社の狛犬
テロンっとしたお姿ですね (狐)

全国的にも珍しい、七福神の福禄寿とお稲荷様の神社
江戸時代以前の神仏習合でできたのでしょうか。
扁額には、内閣官房長官 黒金泰美(第2次池田内閣時代就任)勤著と書かれています。
ご本人は北海道生まれですが、父親が戦前、立憲民政党代議士の黒金泰義で山形県米沢市に地盤があり、ご縁があったようです。
巳年の守護神 普賢神社
明確なご由緒を見つけることはできなかったのですが、
巳年(へび年)の守護神ということですので、普賢菩薩が神社化された経緯の様です。(まったくあてずっぽうの予想です(*´Д`))
普賢菩薩とは
普賢とは「全てにわたって賢い者」という意味で、あらゆるところに現れ命ある者を救う行動力のある菩薩です。
女性守護、修行者守護、息災延命、幸福を増やす増益のご利益があるとされています。また、辰・巳年の守り本尊です。
出典:仏像ワールド
福禄寿稲荷神社の例から考えても、江戸時代以前の神仏習合の影響と考えられるのではないでしょうか。
神仏習合とは
日本土着の神祇信仰(神道)と仏教信仰(日本の仏教)が融合し一つの信仰体系として再構成(習合)された宗教現象
明治維新に伴う神仏判然令以前の日本は、1000年以上「神仏習合」の時代が続いた
出典:Wikipedia

お初穂料は500円でした。
御朱印は、諏訪神社と福禄寿稲荷神社の見開き版になります。
普賢神社の御朱印については未確認です。
以上、『諏訪神社|「願いを成す」茄子と龍神の御加護にあやかる。末社には七福神 福禄寿 巳年守護神 普賢神社 – 山形市 -』でした。