どもっ
ひーさんです。
今回紹介するのは鶴岡市の山里にある湯殿山総本寺大日坊 瀧水寺(@dainichibou)です!
正式名称は、
「湯殿山総本寺瀧水寺金剛院大網大日坊(ゆどのさんそうほんじ だいにちぼう りゅうすいじ こんごういん おおあみ だいにちぼう)」
とっても長々い名前です。

大日坊は、月山道(国道112号線)の東側の里山。そんな奥地の中の奥地にも関わらず、徳川家光公が、三代将軍になる為の祈願所とされました。家光公が34歳の時、疱瘡(伊達政宗公が独眼となった原因の大病)を患った際にも祈願され家光公は無事回復に至ったそうです。その後、のちの四代将軍家綱公が無事生まれることにも繋がりました。
江戸時代、湯殿山は女人禁制の山でしたが、大網にある大日坊は全ての人に開かれたお寺として大奥で有名な春日局も参拝に訪れたそうです。
そのようことからも、徳川将軍家の全国七ヶ寺の別当祈願寺の一つとして数えられた。
また、大日坊は全国でもめずらしい即身仏(ミイラ)が鎮座するお寺でもあります。
即身仏とは
衆生救済を目的として永遠の瞑想に入る(入定:にゅうじょう)と考えられている。僧が入定した後、その肉体は現身のまま即ち仏になるため、即身仏と呼ばれる。
〜 中略 〜
江戸時代には、疫病や飢饉に苦しむ衆生を救うべく、多くの高僧が土中に埋められて入定したが、明治期には法律で禁止された。
〜 中略 〜
科学的には、僧が死んでミイラとなることであり、一見生きているように見えても、実際は死んでいる。生入定を作ることは、現在では自殺幇助罪または死体損壊罪・死体遺棄罪に触れるため、事実上不可能になっている。
引用:Wikipedia
日本では18体の即身仏が確認されており、そのうちの8体は山形県、4体はお隣の新潟県にあります。
※表は横スクロールで閲覧可能です
宗派 | 真言宗 豊山派 |
---|---|
ご本尊 | 湯殿山権現 (金胎両部大日如来坐像) |
創建 | 807年(大同2年) |
山号 | 湯殿山(ゆどのさん) |
通称 | 未確認 |
開山 (寺院の創始) | 弘法大師 空海 |
開基 (創始時支援者) | 渡海(空海の弟子) |
霊場 | 東北三十六不動尊霊場二番 庄内三十三観音霊場九番 |
807年(大同2年)空海によって開山されました。805年に空海が唐(当時の中国)から帰る際、聖地に向けて投げた鈷があり、五鈷杵(ごこしょ)は山形県湯殿山の杉の木へ、三鈷杵(さんこしょ)は和歌山県高野山の松の木へ飛来した言われている。
密教で使用される武器の鋒を象徴化された代表的な仏法法具です。

最近流行りのモンスターハンターでは五鈷杵が「ハンマー」扱いで登場しています😅
空海が唐から帰国した後、最初に湯殿山を、最後に高野山を開山されました。古来、湯殿山は女人禁制の山であり、雪深く参拝が難所の霊場であった為、老人や女性を哀れみ大網の聖地に湯殿山の仏神を勧請(かんじょう)し、大日坊は全ての人達の礼拝所となり「女の湯殿山」として全国から参拝者が訪れるようになった。
大網(おおあみ)
大網の名は、湯殿山の本地仏である大日如来と月山の本地仏である阿弥陀如来を掛け合わせた「大阿弥」から来ており、地元では、大網を「空海によって聖地として定められ、清められた地」としており、湯殿山を高野山と対になる聖地としている。
引用元:Wikipedia
江戸時代初期には、のちの三代将軍家光公を後継者にする為の祈願所とされた。大奥で有名な春日局の力添えで、大日坊が再建された。

現代でも利便性の良く無いロケーションなので、東京、東海道を拠点にしていた徳川幕府と山形の寺院で縁があったことがすごく不思議な感じ
明治時代に入り神仏分離の影響で仏教寺院として出羽三山から独立したそうですが、大人の事情で寺院規模は1/4になってしまったそうです。

それでも、堂内には数えきれないのほどの観音像、神仏像が祀られていました。
1936年(昭和11年)に地すべりが起こった為、現在の場所へ移転しているのですが、あくまで仮の寺院とのことでした。
大日坊には真如海上人(しんにょかいしょうにん)の即身仏が祀られています。
20代で即身仏を志して70年余年修行を続け1854年(嘉永7年)に96歳で生身のまま土中に入定した。
大日坊を拠点に寺院の建立や社会福祉に努めたそうです。

国内で発見されている即身仏のなかで最高齢の方ですので、一番修行された期間が長い方かもしれませんね

70年も即身仏を目指して修行する人生なんて考えられない…

常人にははかり知れない信仰心精神力とだ
1875年(明治8年)に起こった火災では、他2体の即身仏は炎に包まれて失われてしまったそうですが、真如海上人は火災を逃れた。
左側画像が火災前の景観図で、右側画像は現在の景観になります。
6年に一度、丑年と未歳に衣替えが行われ、それまで身に着けていた衣は「御衣入りのお守り」となります。海向寺でも12年に一度の丑年に忠海上人・円明海上人の衣替えが行われ「御衣入りのお守り」となります。
2021年はコロナ禍の為、御衣替えの日程が6月1日から10月14日に変更されました。

大日坊の仁王門
山形県内で最も古い「三間一戸の八脚門」
門前が第一駐車場になっています。

仁王門には運慶作の風神像、雷神像、阿金像、吽金像が鎮座している。

門をくぐると細い一本道の先に大日坊の本堂が見えます。

里山の田園風景が広がっています。昔の映画に登場するような田んぼが、広範囲に広がっていてのんびりした時間を体験できること間違い無し!
あとで調べてみたら、「大網の棚田」としてやまがたの棚田20選に認定されていることを知りました。




左側に拝観受付所があります。


本堂に一番近い第三駐車場からは月山道の高架線がみえます。
拝観料を支払って本堂の中に入ると、大広間の正面にご本尊が祀られていて周囲を観音様や神仏像に囲まれていました。
お祓いをしていただいた後にお寺の成り立ちや歴史についてお聴きしました。その後は即身仏が祀られている客殿へ移動して「真如海上人」を拝観させていただき、即身仏になるまでの過程などお聴きしました。
「真如海上人」の即身仏は、公式サイトでキレイに映った写真が掲載されています。
たまたま訪問したのが2021年5月26日の「戌の日」でした。
安産祈願の日として予約されている方もいるようでした。
空海が投げた五鈷杵(ごこしょ)が飛来たという伝説がある皇壇の杉(おうだんのすぎ)にも行ってきました。
車と徒歩で合わせて、おおよそ1,000m近くあります。

所々に看板がある為、迷うことなく辿り着くことができました。

ここからは、ゆるい登り坂を徒歩で200m 〜 300m

遠目にひと際大きな巨木が見えてきました。

1936年(昭和11年)に起こった地すべり以前はこの巨木の辺り一帯に大日坊があったそうです。

樹齢1800年以上でところどころ枝が切断されていました。
古代の皇族のお墓の上に植えられたという伝説も残っています。
下から見上げると枝が四方八方に広がり素人目に太い枝はかなり不恰好に見えますが、暖冬の年でも豪雪に見舞われる地で、厳しい環境に耐えて力強く圧を感じる伝説の巨木でした。

初穂料300円
湯殿山大権現と書かれているのでしょうか?
力強い文字です。
拝観受付時に、一緒に受け付けてくれて帰る際に受け取り可能です。
2021年は丑年の為か、「丑年御縁年」の御朱印も押印されていました。
JR羽越本線「鶴岡駅」から南南東へ車で35分。
JR左沢線「寒河江駅」から北西へ高速道路を使って車で60分。
庄内空港から南南東へ高速道路を使って車で35分。
※表は横スクロールで閲覧可能です
住所 | 山形県鶴岡市大網入道11 |
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電話番号 | 0235-54-6301 |
拝観時間 | 8:00~17:00(受付16:30まで) |
アクセス | JR羽越本線「鶴岡駅」から南南東へ車で35分(24,600m) |
Wi-Fi | 無し |
駐車場 | 50台 |
公式HP | 湯殿山総本寺大日坊(公式サイト) 湯殿山総本寺大日坊(公式ブログ) |
【拝観料】
大人 500円
中学生 400円
小学生 300円
以上、『湯殿山総本寺大日坊 瀧水寺|徳川家光公ゆかり 拝観前にご祈祷していただけるお寺 [鶴岡市大網]』でした。
はじめまして。『水戸黄門ゆかりの~』が気になりましたので拝見させていただきました。で、気になりましたので念のためコメントさせていただきました。
本文中にもはっきりと記載されておられましたが、三代将軍徳川家光公は水戸黄門ではないです。何か勘違いされているのだと思いますが、徳川光圀公が水戸黄門様です。光圀公の詳細はwiki等で確認していただいた方がよろしいでしょう。
よって、徳川家とはゆかりがあると入れるのでしょうが、水戸黄門とのゆかりはないものと思われます。おせっかいとは思いますがタイトルは変更された方がよろしいかと思われます。
mtbgumby 様
ご指摘ありがとうございます。
おせっかいだなんてとんでもございません。
記事を修正しました。
三代将軍徳川家光公=水戸黄門とわたしの思い込みでした。