ども!ひーさんです。
今回紹介するのは白鷹町の奥地にある蔵髙院(@zoukoin)です!
蔵髙院は全国でもめずらしい即身仏(ミイラ)が鎮座するお寺。
蔵髙院に祀られている光明海上人は100年以上地中に在って昭和末期に発掘されました。日本で発掘された即身仏としては一番最後と言われています。
即身仏とは
衆生救済を目的として永遠の瞑想に入る(入定:にゅうじょう)と考えられている。僧が入定した後、その肉体は現身のまま即ち仏になるため、即身仏と呼ばれる。
〜 中略 〜
江戸時代には、疫病や飢饉に苦しむ衆生を救うべく、多くの高僧が土中に埋められて入定したが、明治期には法律で禁止された。
〜 中略 〜
科学的には、僧が死んでミイラとなることであり、一見生きているように見えても、実際は死んでいる。生入定を作ることは、現在では自殺幇助罪または死体損壊罪・死体遺棄罪に触れるため、事実上不可能になっている。
引用:Wikipedia
日本では18体の即身仏が確認されており、そのうちの8体は山形県、4体はお隣の新潟県にあります。

今では考えられませんが、この辺りは湯殿山信仰盛んな時代は入山前の宿場町として栄えた地域だったそうです。

※表は横スクロールで閲覧可能です
宗派 | 曹洞宗 |
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ご本尊 | 釈迦牟尼仏 |
創建 | 1653年5月(承応2年) |
山号 | 巌龍山(がんりゅうざん) |
通称 | 未確認 |
開山 (寺院の創始) | 證快意頓大和尚 |
開基 (創始時支援者) | 鮎貝宗信重臣(迎田甚平衛、原田宇兵衛) |
霊場 | 未確認 |

1854年(嘉永7年)日影集落(黒鴨地区のさらに奥地)にて入定
1880年(明治13年)5月 蔵髙院が全焼
1890年(明治23年)蔵髙院が再建された。
1935年(昭和10年)4月10日 日影集落で起こった大火事により、光明海上人とゆかりのあった子孫が絶えてしまった為、124年もの長い期間地中に在るままでした。
1978年 古文書や蔵髙院の過去帳や伝承から「百年経ったら掘り出してくれ」という遺言に基づき調査発掘という形で発掘されました。
わたしが生まれる数年前に発掘されたということで不思議な感じがします。
江戸時代に入定した即身仏調査は全国も初めての試みだったそうです。

即身仏以外にも発掘された資料が展示してありました。





延命地蔵尊が祀られている「鳴呼の間(めいこのま)」。京都の相国寺の「鳴き龍(なきりゅう)」の様な部屋です。どういう理屈なのかわかりませんが、部屋の中央で手を叩くと、不思議な音が返ってくる部屋です。わり開放された部屋なのですが、不思議です…
祀られている延命地蔵尊は元々は、西川町にあった大井沢旧大日寺の延命地蔵尊と同じ一本の木から造られた対となる木像で特に子供育成に信仰があるそうです。大井沢大日寺に在った対の延命地蔵尊は湯殿山総本寺瀧水寺大日坊に移ったとされています。
湯殿山からは離れた白鷹町の奥地ですが、湯殿山信仰の色濃く影響されていた地域ということでしょう。
毎年11月24日に「延命地蔵尊」のご開帳が行われています。
肝心の「光明海上人」の即身仏ですが「山形への旅」サイトでキレイに映った写真が掲載されています。
光明海上人は元は猟師の方でお坊様ではなかったそうですが、修行をされて即身仏となりました。

三寶殿と中央に書かれています。
太いところと細いところがわかりやすく書かれていて見やすいしカッコ良い。
優しい和尚さんが書いてくれました。
初穂料300円
JR奥羽本線「赤湯駅」から北西へ車で40分。最寄り駅(フラワー長井線「四季の郷駅」)から北へ車で10分。
フラワー長井線終点の「荒砥駅」近くには「白鷹タクシー」があるので、車が無い方はそちらから乗車されると良いでしょう。
※表は横スクロールで閲覧可能です
住所 | 山形県白鷹町黒鴨544-1 |
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電話番号 | 0238-85-0107(常安寺[本寺]) |
アクセス | フラワー長井線四季の郷駅から車で10分(4,800m) |
Wi-Fi | 無し |
駐車場 | 2 〜 3台 |
公式HP | 蔵髙院(facebook) |
常安寺で管理しており、和尚さんが常駐しているお寺ではない為、最低でも前日まで連絡してから行く必要があります。

徒歩3分圏内にある、内でも有数のぬるぬる温泉。